ブログのモチベーションを探していたけど「共有しづらい私の好きなものを語る」で良い気がしてきた
「私も何か発信せねば」
「物書きくらいできるようにならねば」
という謎の義務感(個人的には「何かやりたい病」という)に駆られて開設したものの、どうも波に乗れない。
くどうれいんさんのように日々是ネタばかりというわけではない普通のアラサーだ。
PCで書こうとすると、タイピングに気を取られて脳内の文章をうまく落とし込めないということにも気づいた。
みんなブログに何書いてるんだろう??って思ってはてぶのネットサーフィンをしながらよく観察したけど、「いろんなしがらみによりツイッターには書かなくて140字より長い投稿」ということか。
、、、私にとっては「愛を叫びたいお気に入りのもの」になりそうだ。
私はそういえばいろいろ我慢してきたなと思う。我慢は長男長女の職業病だ。
我慢しすぎてもはやどれが我慢なのかわからない。
好きなものを好き、ということも我慢してきたような気がする。
だって、いくら愛が溢れたとしても自分の好きなものを突然友人にプレゼンするのはおかしいし、都合よくその話題の方向になることもほとんどない。
最近のテーマはとにかく「自分らしいアウトプットをして人様の役に立ちたい」だ。
仕事が暇すぎてずっと自分の中の思考の海ににもぐり続けていたら、たどり着いた結論。
暇だからといって職場で借りた本を読もうとしてもここ1年くらい、インプットがおなかいっぱいでろくに入ってこないという状況だが、これは「アウトプットが足りてない」ということに気づいた。
「人様に何か与えることが足りてない」と言い換えてもよい。
仕事を頑張ればそんなのすぐ手に入るのだが、どうもサイエンスにハマれない人間らしい。
入職してから気づくのに5年かかったわ。
続・氷点の上巻にひとつの引用がある。
ジェラール・シャンドリ
『一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである。』
この手の名言は数多あるが、出会ったタイミングが良すぎてざっくりきた。
悩みすぎて大好きなポッドキャスト番組に投稿までしたら「あなたはすでに何かしらアウトプットしている」と指南された。
その安田佳生大先生が「スキルがあれば自動的に人の役に立ちたいと思うはず」とツイッターでつぶやいていた。
これは全くその通りで、今は人の役に立つ手段がない状態。
そのスキルを得るには買ってでもするべき苦労があるのだろう。今さら何をしよう。
父親や職場の博士の皆さまのように論文や特許が書けるわけではない。
資格職でもない。
ブログを書くのに知的興奮はほとんど得られないけれど、忘れかけているかつての好きなものをたくさん見つけたいと思う。
追記
「知的興奮(が得られない)」が引っかかっていた。
そういえば、父親の大量の教えを直接誰に諭さなくても、ここに文章としてきちっとまとめる訓練をすればよいのではないかと。
衝動的にTwitterより長い文章、感情が湧いたら書こうと思う。