がんばろう人生

がんばろう東北、がんばろう岩手、がんばろう人生

ひまな時間に思うこと

全然子供はできないし、サッポロクラシックは美味いしすぎてこれまた泣ける。

子育ては人生の暇つぶし、とは言わないが既婚子無し人生はだいぶ暇らしい。

結婚2年目までの3年間は某イベントでひまを潰しすぎた。

気象予報士の試験勉強だって今思えば立派な暇つぶしだった。

そして資格取得には至らなかった。宅建はどうなることやら。

本当なら私はこのひまな時間で、つわりに耐えたり、大学の図書館で子どもの発達についての本を読みあさったり、夫に当たり散らしたりする予定だったのに。

それが大組織にぶら下がっているだけのアラサーである自分と真摯に向き合う時間となっている。

 

そういえば中高生くらいからずっと「普通の人」になりたかった。

ちょっと勉強ができてちょっと発想が不思議な変なやつキャラだったから。

なんだ、ちゃんとなりたかったものになれてるよ。10年かかったけど。

普通に勤めて、普通に結婚した、普通のアラサー。

 

ここ数年、なんでこんなに苦しいのかと思ったら、主に父親から与えられた選択肢から消去法で自分の希望に近いものを選び、テスト勉強(受験・就活)をうまくくぐり抜けてしまって、婚活もうまくいってしまったが、ほとんど何も自分で考えてこなかった。

大学生~就活期に考えるべきような ことを今さらもやもやと持っていて我ながら恥ずかしい。

当時考えるのをサボったツケを今払わされている。

 

チャレンジするのも全部テスト勉強。アウトプットとは言えないできそうなことにしかトライしてこなかった。アウトプットはほとんどない。

 

周りはソーシャルなライフワークを続けている人が多い。

私は完ぺき主義気味だから救えていない人に目が行ってしまう。

なんでみんな、そんな小さな範囲でうまくいってそれでいいと思えるの?そのサイズなら意味ないのでは?とずっと彼らを少し馬鹿にしていたところもあった。

 

私はずっと自分を少し特別な人間だと思っている節がある。

自分のこれまでを振り返ったら、時々やる気を出すも基本的にはただの怠惰な奴じゃないか。

 

そういえばこんなことをうだうだと話せる「本当に欲しかったお友達」も出会うのにざっと10年かかってる。

私の人生が進むスパンって10年が目安なんだろうか。

 

10年後は何者になろう。