震災で流された軸足を取り戻す旅@イツフェス
昔々あるところに「三陸おさかな倶楽部」という魚屋さんが仙台市青葉区五橋にあったそうです。
地域の皆さんにとても愛されていました。
同じ時期の五橋には「グリーンブリッジプロジェクト」というゴミ拾いをしたりするいわゆる大学生発の地域活性化系の団体があったそうです。
近隣の会社のひとや、学生さんなどが自主的に集まり、それはもう、なんというか、今となっては願ってもできないような羨ましい集まりです。
せっかくのつながりだしなんかやろうよ、ということで始まったのが「五橋グリーンフェスティバル」。これが のちのイツフェスです。
当時は、「CSR」や「エコ」がはやりで、全国各地でに「グリーンフェスティバル」という名前のイベントがあったらしいので、この名前になったんだそうです。
こうして五橋グリーンフェスティバルは毎年夏に順調に行われていたそうですが、
2011年の震災によりお魚屋さんのご実家が津波の被害を受け、実家に戻らざるを得なくなります。そこで近くにあったNPO法人ファイブブリッジがこのお祭りの主催を引き受けます。
ややあって、翌年はFBの理事の方が個人的に主催します!ということで運営が引き継がれました。
そして2016年になり、私は今の夫経由でこのお祭りに出会いました。
夫は仙台に転職してきてまもなくこのNPOの運営メンバーになり、仕事以外に地域活動を回していくんだというスタンスで生きていこうとしていました。夫と付き合い始めた頃の私も、なんとなく「何か」やってみたい気持ちになっていました。
1年目はMCを。2年目はMCと実行委員として少し裏の作業を手伝いました。
そして3年目であっさり実行委員長になってしまいました。
いや、なんか、世代交代が必要だなって自然と思ったんです。ついていくだけなのも物足りなくて。私がトップになったら何か変わるかな?という何の根拠もない期待もありました。
さてなったはいいが、ここからが大変というかかったるい。
会場である公園の隣のマンションの町内会の重役の方に挨拶をすると「うるさいから毎年家にいないようにしている」と言われ、
「住んでもいない土地の夏祭りの運営をやっている」なんて、経緯の説明がめんどくさくて、友人にひけらかすこともできず、
何より実行委員メンバーの確保が全然できない。
「資格マニア」と同じで「仕事がヒマです」アピールに思えてきてとてもみじめな気持ちです。
全然誇りを持って携われてない自分に気づきました。
三陸おさかな倶楽部という失われた軸足をどうにか町内会にトレースできればいいのですが、町内会自体も、イヤイヤの輪番制なのか、とにかく存続自体がぎりぎりとのことで、まさかお祭りやってやろうなんて空気になりそうにもありません。
震災以降流行りの地域活性化の最も底辺、最も古い形をやっているようです。
ムリはずっとは続かないなというのが正直なところです。
一度やめにして、「でもそれでもやっぱりやろうよ」という人たちが新しく始める、といのが今のところ最も健全なように思えてなりません。
第1回からの流れを汲んで知り合いが知り合いを呼び、、という形はそろそろ限界を迎えつつあります。
私がもしも不妊体質だったらずっと実行委員長をやるつもりです。
そしてもっと気楽にやりたい。