「自分を表現する方法」を磨いてこなかったので人生がつらい
インプットに飽きた。
でも自分らしいアウトプット方法を知らない。
お勉強よろしく、何事もインプットをのみ快楽としてきたので苦しい。
詰め込み教育が生み出した純然たるインプットプレイヤーになってしまった。
世に溢れるコンテンツを消費し、ライフステージごとに目の前に提示される選択肢を選ぶだけの浅い人生。
自分というフィルターを通して何かを表現することを快楽としている人がうらやましい。
大学の時に探すべきやるべきはこれだったのか。
もう学校で教えてくれればいいのに。
最近「マイプロ」という言葉を覚えた。
暇だったので、夫がこの時期になると熱心に通う報告会に行ってきた。
マイプロを知らない人に説明する時は「総合学習から発展した高校生の自由研究」と平たく話しているが、様々な活動を通して高校生なりの気づきを持った個人/グループの活動発表会だ。
彼らの発表を聞いて、何も考えずにアラサーになってしまった自分を恥じた。
高校生ですら社会問題に当事者意識を持って自分ごととし、アウトプットできているのに、、
このマイプロという言葉を使うと私の最近のもやもやは、
「生涯をかけた私のマイプロはなんだろう?」と言い換えることもできる。
持ってるものをアウトプットするか、
「やりたいこと」をやり続ける中でスキル/アウトプットできることが増える、がベーシックな流れだろう。
この「やりたいこと」がちょっとやっかいで、基本的にはライスワークであるはずなんだが、私はそうではないらしい。笑
マイプロ行ってみてよかったなあ。
夫が何にお熱なのかわかった。
夫に「理解も共感も応援もするけれど私は当事者(マイプロ的には伴奏者と言う)にはならないと思う」と伝えたら笑われた。
自分でそう言ってはたと気づいたが、当事者になるとは誰が決めるのか?
自分自身の仕様?自分の意思?環境?
私の最近のもやもやは、
「私はこの社会において何の当事者なんだろう?」
と言い換えることもできる。
当然、私という人生の当事者ではあるのだが、それだと話が元に戻るのでそれは無し。
マイプロで発表していた高校生達は自分の身近なところから自分ごとに引き寄せられることを見つけていた。
理解も共感も応援もするけれど、大抵のことは私が当事者として考える/動くことができない。
「なんでそれを私がやる必要があるのか?」
ウエメセではなく、シンプルな疑問としてそう思う。
好きだから/やってみたいから、が答えなんだが、この気持ちをけっこう忘れてしまったからやっかいな迷路にハマってしまったのだろう。
BIをもらえて何もしなくてもとりあえず生きていける世の中になっても、
夫はたぶん今の活動をやめないだろう。
私の地元に最近できたイケてる会社の双子社長もプロダクト作りをやめないだろう。
私の同級生のフリーランス♀も動画制作をやめないと思う。
「BIもらっても私がやめないアウトプットってなんだろう」という質問にしてみるといい具合だ。そして答えは見つからない。
ちなみに今のお仕事は成果主義とは程遠く、そうそうクビにならない上にとても暇なので事実上のBI状態だということに気づいた。遅
いま私は何をできている?
ことあるごとに家を掃除してすっきりしているだけか。
集まるだけじゃアカン、人の経験談を100回聞いてもアカンということに気づいたのはまずよかった。(でも知らないことは選択肢に入ってこないんだよな。)
次のステップ、マイプロをやる、自分を表現する方法を探して磨く、ということを今生はやりたいと思う。